前回 は「点源の返事を足し合わせる」を掴んだ。今日はその一歩手前 ── 点源ひとつ が、まわりにどんな“場”を作るかを見る。
音の大きさ、光の明るさ、重力の強さ。どれも遠ざかると弱まる。しかも、ぜんぶ 同じ で。なぜ揃うのか ── 答えは、媒質でも偶然でもなく、たったひとつ。保存 だ。
前は水面のような2次元 で波を見た。今度は、音や光や重力のように、三次元の空間へ広がる 場合を見る。2次元なら、波は円周に広がる。3次元なら、球面に広がる。広がっていく先の“器”が違えば、薄まり方も変わってくる ── というのが、今日いちばん効いてくる所だ。
そしてここではまず、いちばん素直な場合だけを見ることにする。点のような源から、何かが三次元の空間へ、どの向きにも同じように広がっていく場合だ。途中で吸われたり、壁で跳ね返ったり、細いビームに絞られたりはしない ── ただ、空間へまっすぐ薄まっていく。そういう“素直な広がり”から、 は出てくる。
点源は、線を撒く
点源(音を出す点、光る点、質量のある点)から、四方八方へ“筋”が伸びていると思ってみる。── でも、ここでちょっと引っかかる。音と重力を、同じ“線”で見ていいんだろうか?
正直に言うと、線の意味は対象で少し違う。音や光なら、その線はエネルギーの流れの線だと思えばいい。重力や電場なら、エネルギーが外へ流れているというより、場の向きと強さを表す線だ(場が強い所ほど線が混む)。意味は、たしかに少し違う。でも、閉じた面をどれだけ貫くかを数える という見方は、どちらにも共通している ── その「貫く量」を、あとでフラックスと呼ぶことになる。だから今は、意味の違いはいったん脇に置いて、「線が面を貫く本数」で揃えて見ていこう。
大事なのは、この線は、空っぽの空間では増えも消えもしない こと。湧き出しもしないし、途中で消えもしない ── これが 保存 だ。
だから、源をぐるりと囲む球面を考えると、その球面を 貫く線の本数(フラックス)は、球面をどんなに大きくしても、いつも同じ。近くの小さい球でも、遠くの大きい球でも、同じ本数が貫く。下で半径 を動かしてみて。本数は変わらないのに、線の混み具合だけが薄まっていく。
だから 1/r²
本数が一定なら、あとは球面の広さだけで決まる。半径 の球面の面積は
線の混み具合(=密度=その場所での“強さ”)は、本数を面積で割ったもの:
分子(本数)は保存で一定、分母(面積)は で増える。だから強さは で薄まる。 を2倍にすれば、同じ本数が4倍広い球面にばらけて、密度は 。これだけだ。
肝心なのは、この そのものは媒質のせいじゃない こと。もちろん媒質は、吸収・散乱・屈折・音の速さには効く ── そこは無関係じゃない。けれど、損失なく等方的に広がるときの は、まず球面の幾何から来ている。空気でも真空でも、球面の面積が なのは変わらないからね。
フラックスって、何を数えているの
「線の本数」と言ってきたものを、物理では フラックス と呼ぶ。ちゃんと言うと ── ある面を、場(流れ)がどれだけ“貫いて通り抜けるか”の総量だ。
小さな面のかけら(面積 )を考える。そこを場 が斜めに横切るとき、効くのは面に 垂直な成分 だけ(かすめるように通る分は貫いていない)。面の向きを法線ベクトル で表すと、かけらを貫くフラックスは内積で
面ぜんぶでは、これを足し合わせて(積分して)
これが「面を貫く総量」=フラックスの正体。 は、閉じた面ぜんぶでの足し算、という印だよ。急いでいるなら、「面を貫いた線の、正味の本数」 だけ持っていけば、この先も困らない。
点源のまわりでは、場は放射状で、大きさは半径だけで決まる 。半径 の球面(面積 、場は面に垂直)を貫くフラックスは
ここで 保存(フラックスは によらず一定で、 源の強さ)を使うと、
がきれいに消えて、場の強さに が残る。さっきの「本数 ÷ 面積」を、式の言葉で言い直しただけなんだ。
同じ理由で、あちこちに 1/r²
音 なら、点から出たエネルギーが広がる球面にばらけるので、単位面積を1秒に通るエネルギー ── 音の強度 ── が で下がる。だから遠いと小さい(ちなみに、音圧の振幅そのものは強度の平方根に近く、おおまかには で落ちる)。光 も同じで、単位面積あたりの明るさ(照度)が 。2倍離れれば の明るさだ。重力 は少しだけ言い方が変わって、質量 がまわりに作る重力場 ── そこに置いた物が受ける、質量あたりの力 ── が で弱まる。質量 の物に働く力は だから、力のほうも 。ニュートンのあの は、結局この球面の面積のことだったわけだ。
挙げ出すと、まだまだ出てくる。電場 ── 点電荷が作る場 は、この の代表選手だ(クーロンの法則のあの も、結局は球面の面積のこと)。電波 もそう ── アンテナから放たれた電力は球面に薄まるので、受信できる電力は で落ちていく。無線屋が「自由空間の伝搬損失」と呼ぶやつで、距離が2倍になれば受信は だ。天文 では、この がそのまま“ものさし”になる ── 本当の明るさが分かっている星(標準光源)の、見かけの暗さを測れば、 を逆に解いて距離が出る。宇宙までの遠さは、この逆二乗で測られているんだよ。
媒質も種類もバラバラなのに、ぜんぶ同じ 。それは、どれも「湧かない・消えないものが、球面に広がる」という、同じひとつの理由で動いているから。
ひとつ、混ざりやすい所を分けておきたい。ここで「弱まる」と言っているのは、広がりによる薄まり()のこと。これとは別に、媒質に食われて減る 吸収 もあって、そっちは距離とともに のように落ちていく。損失のある媒質を通れば、音でも光でも吸収はかかる。広がって薄まる と、食われて減る吸収は、別々の物語として持っておくと、あとで迷わずに済む。
「貫く本数は一定」── ガウスの足音
さっきの「源を囲むどんな球面でも、貫く本数は同じ」を、もう少しだけ言葉にしておく。じつは球面でなくてもいい。どんなに歪んだ閉じた面でも、中に源がある限り、貫く正味の本数は“源の強さそのもの”で決まる ── 面の取り方にはよらない。これは、線が空っぽの所で 始まったり終わったりしない(湧かない・消えない)ことの、言い換えにすぎない。物理ではこれに名前が付いているけれど、まだ呼ばないでおく。いまは「フラックスは途切れない」だけ持っておけば十分だよ。
そして、ここに連載の底を流れるものが顔を出している。フラックスが途切れない = 湧きも消えもしない、というのは、その“何か”を 一つのもの として数えられる、ということでもある。数えられて、勝手に増えも減りもしないから、私たちはそれを「ある」と言える。物理が、偉い人の決めた超科学なんかじゃなく、「湧かない・消えないを素直に信じる、ただの簿記」に見えてくる ── その入口が、この なんだ。
(この “簿記” は、力学の側から見ると 仕事と力学的エネルギー の 状態量と流量 という分け方と、ぴたり同じ話だ。面を貫いて流れていくフラックスは “流量”、湧かず消えず保たれる源の強さは “状態量” ── 同じ簿記を、片や場、片やエネルギーから覗いているだけだよ。)
ここからは、厳密な物理というより、保存という“感触”を少し外まで広げてみたい。逆に問うてみよう。湧いたり、ふっと消えたりするものは、実在と呼べるんだろうか? ── いや、保存するものだけが実在だ、と言いたいわけじゃない。でも、何かを“一つのもの”として数えたいとき、保存はものすごく強い足場になる。勝手に湧いたり消えたりするものは、数える手がかりを失ってしまう。だから物理は、まず「何が保存しているか」を探す。そこに、世界を信用するための最初の取っ手がある。
たとえば、こんな所にも同じ感触がある(あくまで、直感を広げるための寄り道だよ)。
お金は、ただの紙きれや数字なのに、価値がある。それは、勝手には湧かせられないから ── おおむね保存するからだ。誰でも好きなだけ刷れたら、その瞬間に価値は消える。だからこそ偽造は古くから、国の根幹を脅かす重罪として扱われてきた(歴史上、貨幣偽造を反逆罪に並べて罰した時代もある)。社会は、お金という“フラックス”が途切れないことを、必死で守っている。守れている間だけ、お金は数えられる“一つのもの”でいられる。
熱もそうだ。かつて熱は「カロリック(熱素)」という、湧かず消えず流れるだけの、保存される実体だと考えられていた。熱い物から冷たい物へ、水が高い所から低い所へ落ちるように熱素が流れていく ── そう思うと、熱の伝わりはうまく説明できた。ほころびは、摩擦から出た。ランフォードが大砲の砲身をくり抜く実験で、刃が鈍ってもう削れなくなっても、こすり続けるかぎり熱はいくらでも出続けることに気づく。もし熱が物の中に蓄えられた有限の実体なら、いつか尽きるはずなのに、尽きなかった。
ただ、ここが肝心なところだ ── その熱は、無から湧いていたわけじゃない。砲身をくり抜く装置は、馬がぐるぐる回り続けて押していた。その力学的な仕事が、まるごと熱に化けていたんだ。だから「いくらでも」出るのは、こちらが「いくらでも」仕事を注ぎ込んでいるあいだだけ。手を止めれば、熱も止まる。注いだ仕事の分がそっくり熱になっているだけで、どこにも“ただで増えた分”はない。
そこで見直しが入る。保存しているのは「熱」ではなく、もっと広い「エネルギー」のほうだった。熱は、そのエネルギーが姿を変えて流れていく一つの形で、それ自体は増やしも減らしもできる量だ ── 仕事を注げば増え、熱を仕事に戻せば減る。“保存される実体”の座は、熱素からエネルギーへ譲られた、ということだね。
── ただ、その「湧かず消えず流れる実体」という直感は、完全には死ななかった。エントロピーは完全な保存量ではないけれど、孤立系の全体では減らない量だ。局所的には外へ捨てて下げられるが、一度生まれた散らばりを、世界全体からなかったことにはできない。そういう意味で、熱素の直感の一部は、エントロピーのほうへ移ったようにも見える。
保存するから、数えられる。数えられるから、私たちはそれを大切にしたり、法で守ったり、理論の柱に据えたりする。 から始まった話が、案外そこまで地続きだった、というのが面白い所だね。
さて、話を場に戻そう。点源ひとつの返事が分かったら、次は源をたくさん置く。── ただし、足すと言っても、何を足すかは相手によって違う。重力や電場なら、向きを持った場そのものを足す(向きどうしで打ち消し合うこともある)。ポテンシャルで見るなら、まず足すのは向きのない のほうだ。音や光の波なら、位相が揃っているときは振幅を足し、ばらばらなら強度を足す。違いはある。でも、奥にある形は同じだ ── 何を足すかに気をつけながら、ひとつの源の返事を覚えて、置いて、足していく。やることは、前回 とまったく同じなんだ。次は、その「足して、場を作る」へ。